2008年08月16日

▲▲鎮守府

「戦死した親族がいる」 とか 「軍人だった身内がいる」 とか
今までそういう話を聞いたことがなく、深く考えたこともなかったのですが

今回、島に行って初めて特攻で亡くなった伯父さん(私の祖父の兄弟)が
いたらしいと聞きました

伯父さんは 『部下達だけを特攻に出す訳にはいかない』
と言って出撃して行ったのだそう

▲▲鎮守府
7/20沖永良部島 本家の墓地内

実は島に行く前に、11年前にもらった戸籍簿を見なおしていて
「戦死」 の2文字を見つけていました
帰ってきてからもう1度見てみると・・・・

○○年○○月○○日 時刻不詳 △△方面にて戦死
◇◇年◇◇月◇◇日 ▲▲海軍人事部長 報告


時刻不詳なのも、△△方面っていうのも、戦死してから報告まで約1年
経ってるっていうのも、なんだか淋しいなぁ・・・と思い
書いてあることを手がかりに調べてみましたが確実なことは何もわかりませんでした

伯父さんが戦死したとされている日はある海戦の前日だったこと

その数日前から前日までの航空戦がきっかけで海戦がはじまったこと

その海戦から特攻隊が出撃するようになったこと(ちょっと矛盾?)


▲▲鎮守府
7/20沖永良部島 現自衛隊基地内


島に関することでは・・・・

昭和18年11月5日に初めて島が砲撃され、終戦まで何度も爆撃を受けたりして
犠牲者も多数出たこと

集団自決豪が掘られていたこと

米軍との空中戦や艦砲射撃で海に墜落する特攻機が多数あったこと

島の近くで米軍に見つかった特攻機は海の方へ海の方へと飛んで行き戦っていたこと
(島に被害がないようにする為だったのでは?と島民の方)

海岸に流れ着いた遺体を島民の人たちが火葬や埋葬していたこと

昭和28年12月25日 奄美群島本土復帰


などなどを知ることができました

島に行った2回とも、戦争の影というものは感じなかったけれど

閑かでこんなに美しい風景の中には
尊い命と過酷な歴史と悲しい光景が内包されていることを
忘れてはいけないんだな。。。。

▲▲鎮守府
7/19沖永良部島 屋子母海岸


伯父さんの戦死について、もう1つ…

鎮守府からの報告日はその組織が廃止された日でした
身内の方たちには、確かな事を知らされていたらいいなぁと思います

▲▲鎮守府
7/20沖永良部島 今は誰もいない本家




Posted by まりぶー at 03:44│Comments(8)
この記事へのコメント
沖永良部島の本土復帰が、戦後8年余り、初めて知り痛感します。

昔の言葉で「気違いに刃物=気狂いに刃物」というのがあります。
一般市民は、それが解っていても言葉や態度に表すと、後に手が回る。
ほんの一部の人の誤った考えで、罪の無い多くの人の人生そのものを変えた時代、
想像もつかない=その時代の精神面が・・・。

今の時代、肩書きや職責を与えられると当初は素直だったが、
いつの間にか、権力と利権の狭間での行動、大なり小なり同じ事の繰り返し・・・・・。
身近にも問題は多数ある、これについて・・・。

さて、どうすれば良いか、今一度考えてみよう・・・・・・・。
Posted by ふじ・愛サン at 2008年08月16日 07:25
まりぶーさんが聞かれた戦争の惨劇。
何年経とうと伝え続けてください、
二度と同じことを繰り返さないためにも・・・
二度と愛するひとを悲しませないためにも・・・
Posted by 和創楽★ホシノミチ at 2008年08月16日 11:42
いろいろ 調べはったんですね・・・
私も、この年齢になり
母になり
今まで無関心できたものを 無関心でいられなくなりました
図書館で、手にすることのなかった
戦争のことを手にするようになりました

子供達に、どうやって 伝えたらいいのか
それが 今の私の課題です
Posted by iku★koiku★ko at 2008年08月17日 07:06
☆ふじ・愛サンさん

コメントありがとうございます。

本土復帰(「奄美群島」を付け加えました)の事は、沖縄の本土復帰などに比べるとあまり知られていないみたいですね。

戦争にしても犯罪にしても、何の罪もない人たちが、狂気(誤った考え)に支配された一部の人たちの犠牲になる・・・
こんなに理不尽な事はないですよね。

善と悪の2面性・・・ヒトは狂気に変わってしまう恐ろしさを持っているものなん
だと思います。
様々な問題を解決するのに、精神論みたいなものは現実的ではないのかもしれません。
それでもやっぱり人の善の心は大切なもので、その心が世界を変える・・・
なんて考えるのは、ただの夢物語にしかすぎないでしょうか?
Posted by まりぶーまりぶー at 2008年08月17日 15:12
☆和創楽★ホシノミチ さん

コメントありがとうございます。

たとえ細々とでも・・・戦争を経験していなくても・・・・
誰かが伝えていくことは大切ですよね

この時は伯父さん話はあまり詳しく聞けなかったので、
今度島に行った時には、いろいろ教えてもらおうと思っています。
おばさんやおじさんが経験したことも聞けたらいいなぁと思っています。

和創楽★ホシノミチさんは、何か聞かれたことありますか?
もしあったら、和創楽★ホシノミチさんも伝え続けてください。
戦争を経験されたり、話を聞いたことがあるという身内の方や
知り合いの方はいらっしゃいますか?
娘さん達がその話を聞かれたことはありますか?
もし、そんな方がいらっしゃって、娘さん達が聞いたことがなければ
ぜひ、聞かせてあげてください。
これからますます、直接話を聞ける機会はなくなってきます。
それが身内の方の話なら本当に貴重なことだと思います。
Posted by まりぶーまりぶー at 2008年08月17日 15:52
☆iku★koさん

コメントありがとうございます。

>いろいろ 調べはったんですね・・・

ネットでですが・・・今だからできたことですよね。
だけど、ネットだと情報を絞れないので時間がかかり、なかなか終われないという弊害も・・・・^^;

戦争についてはほんの少し興味を持っていて今まで何度か本を読んだことはありますが、自分の家系に戦死した人がいると知らなかったら、こんなにも関心をもたなかったと思います。

どうやって子供さんに伝えるか・・・
もし戦争を経験した身内の方がいらっしゃったら、直接話をしてもらうのがいいと思いますが、まだ小さいと難しいですよね。

今になって思うことは、もっと祖父母に戦争の話を聞いておけばよかった・・・・
というか、してほしかったなぁと思うんです。
子供の頃に1、2度だけ祖母に戦争中の話を聞いたことがあります。それは悲惨な話ではなくてどちらかというとおもしろ話?だったのですが、おぼろげながらも覚えています。

学校で戦争のことを習っても、関心を持つ子供ってあまりいないと思います。(偏見?)
子供が自ら教えて!ってお願いすることもあまりないと思うので、だったらおじいちゃんやおばあちゃんから話してほしいなあって思います。
おじいちゃんやおばあちゃんの話だったら心に残るような気がします。

私の祖父母は父方母方とも他界しているので、今、聞きたいと思っても聞く事ができません。
こういう事で後悔するとは思ってもみませんでした。
もし、話を聞ける人がいたらiku★koさんにとっても貴重な経験になりますね!
Posted by まりぶーまりぶー at 2008年08月17日 16:55
まりぶー こんにちは!

この旅に、、こんな事実にぶつかるなんて・・・君も
思ってなかっただろうし・・・まさか、そんなことを知った
様子は、「図書館」では 全然見せなかったから、、正直
、この記事を読んだときには~驚いた。

故郷への「ルーツ」探しが・・・しかし、日本のアチコチで、、
まだ「戦争の疵跡」を・・・残しているし それを大事に語り
ついでいる人や島を知って 小さくとも、、次の世代へ伝え
続ける必要を 教えてもらいました・・・! ありがとう、、
Posted by at 2008年08月19日 19:36
☆風さん

コメントありがとうございます。

>正直、この記事を読んだときには~驚いた。

能ある・・・・は・・・・?(笑)
ドライブだってなかなかだったでしょ( ̄▽ ̄)V
なんて~おちゃらけは、、、、今回はお預けかな、、、(^^ゞ

島の歴史には興味があったんですけど、戦争という事までは
考えていませんでした。
島に行く前に「戦死」の文字は見ていたけど、
その文字の意味するところまで思い至らなっくて・・・
正直、「戦時中」に亡くなった・・・ぐらいの認識しかなかったんです
だから、おばさんから伯父さんの話を聞いてビックリしました。
戸籍簿を確認したら、伯父さんが亡くなったのは30歳でした
もっともっと若くして特攻で亡くなった人は多いですけど
30歳でも若いなあと思います

生の戦争体験を語れる人が減っている・・・・もう何年か言われ続ています
講演やテレビ、本とか映画、学校、国が伝え続ける事はすごく大事だけれど、
身近な人、自分と何かしら関わりのある人から聞いた話、それをまた次の世代へ伝えていく・・・(伝えるという言葉すら仰々しいような・・・)
そんな地道なリレーも大切だと思います。
Posted by まりぶー at 2008年08月19日 23:30
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